「健康日本21」は自由を制限しているのか

■ 超高齢社会と健康政策健康日本21

我が国の高齢化率は2007年に21%を超え、世界で初めて超高齢社会に突入した。高齢化率の上昇に伴い、社会保障費の増大や生産年齢人口の減少、地方経済や地域医療の崩壊といった社会問題が、毎日のように取り沙汰されている。

 「健康増進法」はそのような時代・社会背景の要請によって策定され、それを法的根拠とした「国民の健康の増進の総合的な推進を図るための基本的な方針 (平成15年厚生労働省告示第195号=健康日本21)が、国家全体のプロジェクトとして大々的に推進されている。
 僕は歯学部で勉強をしている身なので、予防医学の根幹的な思想には当然のように同意するし、盛んに行われている「国を挙げての健康増進」についても同様に肯定する。僕が川沿いを歩いていて、もしも上流から次々と人が流れてきたのなら、その場で全員を助けようとするのではなく、上流に出向いて原因を改善しようとすることだろう。
 また、歯はきちんとした知識に基づいて磨くべきであるし、健康になりたいのならタバコは辞めなければならない。そして、国家はそれを支援しなければならないともおもう。
 しかし一方で、健康増進法には反対意見もあるらしい。その意見を、断片的にではあるものの、取り上げてみたいと思った。

 今回は、ひとつの具体例を挙げようと思う。健康日本21でも基本項目のなかに指摘されている「タバコの禁煙・卒煙運動」である。

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■ タバコの害と禁煙ファシズムの害

 「禁煙ファシズム」という言葉がある。主に愛煙家が、禁煙運動を推し進める人びとをファシズムだ、全体主義だと批判する際に用いる語である。
 健康増進法や健康日本21への反対意見は、この禁煙ファシズム論の議論と構造的に類似しており、ここで喫煙の問題についてかんがえることは、ほとんど健康増進法の是非をかんがえることと一緒である。だから禁煙ファシズムの問題に興味を持った。
 健康増進法を批判する彼らの言い分は、こうだ。
 国家や法律が、 “健康増進” という大義名分のもとで、国民の嗜好やライフスタイルに介入するのは、国民の自由な権利を侵害しているのではないか。
 さらに彼らは、ナチス・ドイツの健康政策(健康は国民の義務)を例にとり、それを健康増進法の第二条(生涯にわたる健康の自覚・増進は国民の責務)と比較したうえで、「国家による一斉の健康運動は全体主義のトリガーとなり得る」と主張する。確かに、世界で初めて一斉禁煙運動を実施したのはナチス・ドイツの反タバコ運動であることは事実だから、滅茶苦茶なことを言っているわけではない。
 繰り返すが、禁煙についての議論は、たんに個人がタバコを吸う/吸わないという問題ではないのだ。
 国家による健康増進は全体主義的なのか、国家が個人の嗜好を方向付けることは妥当なことなのか。このような広がりを持った問いかけなのである。

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■ 国家活動の限界とJ.S.ミル『自由論』

ジョン・スチュアート・ミル

 その問いを検討するうえで信頼できるのは J.S.ミル(ジョン・スチュアート・ミル)の『自由論』であろう。
 J.S.ミルは自由論のなかで、国家が個人に対して行使する道徳的に正当な限界、すなわち国家活動の限界の決定の在り方について述べている。
 彼の考えた自由とは「国家からの自由」である。Liberty from〜であるから、対公権力的な消極的自由と言える。彼は国家からの強制的干渉が存在しない状態を、自由であると考えた。
 そして、繰り返し述べているように、禁煙ファシズムを批判する数多くの愛煙家はこの思想を肯定し、国を挙げての一斉禁煙は基本的人権を無視したものであると主張する。
 このように、反対派がJ.S.ミルの自由論を肯定し続ける限り、彼らの主義主張と国家の健康政策との親和性は低いまま変わらない。

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■僕なりの結論

 反対意見を聞き、かなり考えさせられたが、僕はまだ「国家による健康増進は必要である」とかんがえている。
 僕がそう思う理由は、大きく次の2点に分けられる。
 それは、「そもそも健康は自由な生活のためのものである」という理由と、「健康は個々の利己的な活動によっては増進し得ない」という理由である。
 1点目は、そもそも、なぜ人びとは健康になりたいと思うのか、という根本的な疑問に立ち返ったときに気付く。
 もちろん、健康でないことは自由で幸福な生活を送るうえでの阻害要因とはなり得ないが、定期健診に出掛けたり、食事のカロリーを制限することは、自分の自由な生活を維持したいという思いの現れである。
 だから、「健康増進運動は自由を阻害する」という主張自体が、自由を阻害している、とも言えるのではなかろうか。
 次に、2点目の「健康増進は個々の利己的な活動によっては達成し得ない」という理由だが、これは、ご存知1986年のオタワ憲章において提唱されたヘルス・プロモーション (Health Promotion) の根幹的な理念である。
 つまり、健康はひとりの力では増進することができない。健康増進のためには、「健康増進のための社会環境づくり」というアプローチが必要なのである。

滋賀県HP「新しい健康づくりとヘルスプロモーションの推進」より

 したがって、人びとが健康である(自由である)ためには、市場経済に身を任せているだけでは駄目なのだ。
 完全に自由な市場経済に、国家がある程度の介入をしなければ、タバコ会社は利益を出し続け、肺がんに罹患する者は増加の一途をたどってしまう。受動喫煙も増える。
 以上のような理由で、僕は、21世紀における国民健康づくり運動である「健康日本21」は、全体主義的でもなければ、自由を制限するものでもない、むしろ自由を獲得するためのものである、と考えている。
 2013年から、健康日本21が第二次として改正された。詳細は厚生労働省の健康日本21ホームページからどうぞ。
2012-12-13 | Posted in 人文, 社会No Comments » 

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