鈴木先生の研究会@軽井沢

2011年5月27日〜28日、軽井沢で鈴木孝夫研究会@軽井沢が行われ、参加したので、振り返る。学生3名。

物理化学の中間試験が金曜日に終了、11日〜期末なので時間ない。3日ほっこり村開催。

以下。

軽井沢は死の森と化している。日本の自然が変化してきてしまった。出没する動物の変化。鳥の声の変化。全ては関係し合っており、蛾がいなくなれば芋虫がいなくなり、芋虫がいなくなれば鳥がいなくなる。環境問題の本質は人口増加にある。

人口が増加して環境問題を誘発しているが、人口の増加のみならず、一人当たりの消費エネルギー量も増加の一途。徳川時代を見習う必要がある。徳川時代は、一人当たり非常に少ないエネルギーで生活し、それでも豊かな時代だった。

日本文化と外国文化。日本は基本的に英国を文明のモデルとして発達した。だから自然科学の領域では日本は目覚ましい発達を遂げたが、人文科学系のノーベル賞はさっぱり。外国文化の輸入により発達したのは自然科学のみであり、人文科学系は発達しているように見えてしていない。人文科学は人がいなくなったら対象は無くなるが、自然科学は人がいなくなっても天文学はある、という風に人間がいなくても対象は存在する。

西洋中心主義から脱却すべき。日本は世界に並ぶ大国になった。なのに、日本人はいつまでも欧米を崇拝する主義から脱却しようとしない。ことに人文科学系の領域においては、日本から外国へ輸出されることは稀。自然科学なら数式を書くだけで輸出できるが、日本の文化の根底にまだ西洋中心主義的世界観が根付いているから、人文科学系の思想や文学は輸出されない。

日本の人文科学を世界レベルにするには、日本語を広める必要がある。翻訳。日本語が世界に広まっていないから世界中で日本文学が翻訳されないわけで、重要なのは、西洋中心主義から脱却し、日本語教なる思想を世界に布教していくこと。

ヨーロッパは基本的に自分の文化が絶対で、サド。日本は外国崇拝主義であるから、自国の文化に対してマゾ。こんな根本的な文化的相違があるのに、日本人はそれを知らない。ここの根本的相違を認識して、すれ違い無く歩んでいく必要がある。

文化について。人間は文化に包まれている。生物種のなかで、全世界に分布しているのは、ヒトだけ。なぜヒトだけが全世界に均等に分布することができたのかというと、それは文化というバリアに包まれているから。もしヒトから文化なるバリアを剥がしたら、とたんに絶滅するか、世界中でヒトは何種類もの生物種に分化していくはず。人間は文化に包まれて守られているから、生物種としての共通性を維持したまま、全世界に均等に分布することができた。

だから、ヒトとして生まれた以上、自分の文化に根ざして生きなければならないし、その文化から逸脱することは不可能。もし自分の文化を放棄してしまったら、それはヒトとしての終わりを示している。そして、人類全体のグローバルな相互理解のためには、「世界中の文化ごとに大きく異なる」ことを深く認識し、コミュニケーションしなければならない。

英語学習。小学校からの英語教育導入問題に対しては懐疑的。「話し言葉」と「書き言葉」は厳密に区別される必要があって、議論や研究に必要なのは紛れもなく後者。話し言葉とは日常的な幼稚園児でも知っているような単語、書き言葉は論文や文学などの言葉。日常の英語と学問の英語は異なるから、学者の英語を身につけるのに日常英会話など必要ない。ケンブリッジに行ったとき、どんな難解な単語を知っているのに、pep(スイカの種)を知らなかった。ネイティブはpepなど幼稚園児でも知っている単語だが、pepを知らなくても学問はできた。書き言葉型の英語学習をする必要がある。

日本の言語はTV型。世界の数ある言語で唯一。他の言語はRadio型。つまり、日本語は視覚に依存する言語。TV型は文字を知らないと話すことができない。漢字の大まかなイメージが無ければ、話すことができない、理解できない。一方で英語などのRadio型は同音語が少なく、したがって識字率が非常に高い。日本は同音語が多い。私立と市立とか。

しかし裏を返せば、日本語のTV型という性質は大きなメリットがある。それは、例え知らない単語でも類推して考える、意味を捉えることが容易であるという点。「むえいとう」と聞いても意味が分からないけれど、「無影灯」と読めば、「影のできない電灯」と理解することができる。英語では基本的に、知らない単語は類推できないし、理解することができない。日本語の場合は、漢字のおおまかなイメージが無ければ、脳内で考えられない?認識できない?

それはいいとして、サル、トリ、ヒトにおける言語獲得プロセスの相違。トリやヒトは、音声を真似する能力があるから、言語、音声を獲得する。トリにおいては「鳴く」行為自体は遺伝的にプログラミングされているものの、どんな音声でさえずるかは不確定。後天的要因により決定される。だから飛行場付近で育った鳥には飛行機のエンジン音が刻み込まれている。ヒトも、言語を獲得すること自体は遺伝的にプログラミングされていて、音声を真似して言語獲得するんだけれど、どんな言語を話すのかは後天的・環境的学習因子によって決定される。

だから、つまり、「知能の発達=言語獲得」ではない。言語を知能として見ている過ち。サルに言語獲得させてどうするのか。言語を知能の指標と誤って認識してしまうと、ヒトの次がサルだから、という論理で、サルの言語獲得を促そうとする。西洋的世界観であり、脱却すべき固定観念。トリとヒトだけが言語を使用しているのに、サルや他の動物が言語獲得不可能な必然性は何処にもない。言語とはコミュニケーションのツールに過ぎないのであり、知能が発達したから言語獲得したという段階ではない。知能の発達とコミュニケーションの発達の経路は別で、区別可能。音声はミニマムなエネルギーで効率的なコミュニケーションが可能になるツールであるから発達。

以下2日目。日本野鳥の会の話。「松の木に鶴」という日本の絵画は非常に多く存在するが、それは実際には起こり得ない。松の木に鶴はいない。松の木にとまるのはコウノトリ。芸術ではしばしばトリが描かれるが、本当にトリの知識があって描いている人は少ない。芸術はもっと写実性を再考して、写実性+芸術性、象徴性を考える必要がある。

宗教や言語は、文化なのだから、世界的に拡散する上では、その時々の場合に応じて適応するプロセスが必要。世界に広がるには、形態を変化させる必要がある。イギリス英語は変わらないから、世界に広がらない。

学問の高度専門化。学問専門化・細分化時代の名残。米は第二次世界大戦で日本を破るために専門の壁を破った。結果的に学際的研究が可能に。ごった煮こそ学問。人間世界の客観的可視化。

そもそも、日本の学者は、「日本は世界に、ことに西洋諸国に対して遅れている」という固定観念を持っている。その思い込みが深すぎる。自分はCenter of the worldであるという認識で良い。「日本離れ」は褒め言葉ではない。

その固定観念により日本人は意見を持たない。これは経済大国である日本にとって致命的。日本の精神構造の再考。

日本社会がたるんできた。ハングリーではなくなった。精神構造も変化。言語力低下。大企業もたるんだ。

「自己主張型のコミュニケーション(自己主張型の文明)と、関係調整型のコミュニケーション(関係調整型の文明)の価値観は相違している」ことの認識と、文明ごとの相違に対する深い理解と、精神構造の相違の客観的認識による受容。

以上。7月に研究誌。校正も終え、遅くても来月中には出版。僕の分は3000字。

2011-06-26 | Posted in No Comments » 

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