研究誌原稿をスプライシングしています、否プロセシングしています

再試がたくさんあるのに、研究誌原稿も仕上げなきゃならないです。あと学びの自分史はいっこうに終わる気配を見せないし、ほっこりの企画書と広告と開校準備もしなきゃ。でも実はそれほどやる気がある時期でもない。優先順位は再試>原稿>>ほっこり>学びの自分史なんだろうけれど、やっていて面白いのは、学びの自分史=原稿=ほっこり>>>>再試対策です。もっと対策しときゃよかった。てか教務課に呼び出されてるらしいので、月曜に行く。おそらく統計解析の試験のことだろうけれど、仕方ないじゃん数学研究室に誰もいないんだから…

さて、原稿をブラッシュアップ、ていうか推敲というかスプライシングというかプロセッシングというか、ともかくそういう作業を延々と繰り返しています。人生で一番推敲しているとおもう。推敲するたびに村上春樹みたいなテイストに向かってしまうので、そうならないように気を付けながら言葉を選んでいる。村上春樹的文章になると後々恥ずかしくなる可能性が高いので、あくまで松岡的口調を貫きます。でも冒頭とか『4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出合うことについて』と似てきちゃうんだよなあ。だから村上春樹の作品は読まないようにしてる。

それで、いま原稿を書いていたんだけれど、そのなかで新しく発生してきた解釈がたくさんあったです。

鈴木先生の世界認識というと大袈裟だけれど、学問観とか、視点視野。「学者と呼ばれるほど馬鹿じゃない」という言葉をおっしゃっていますが、それに僕は感動していて、それがいわば「ごった煮」の鈴木人間学の世界観だとおもう。鈴木先生の言語学は常に「人間理解」「人類の未来」というベクトルを指し示していて、それが直接的にグランドセオリーを構築してる。

原稿のなかでは山脈だとかそういう言葉を使っているけど、要は、山に登ることが学問じゃなくて、零から山を築く造山運動こそ本質的な学問である、とおっしゃってます。これはMIT石井教授も「MIT生き残りの条件」のなかでおっしゃっていることで、恰好良い。

で、鈴木先生の視点で特筆すべき認識で、今回フォーカスして書きたいのが、関係性を認識する目であり、それにより構築される人間学としての言語学。

つまり、環境から切り離しては本質的な人間理解は不可能だ、ということ。口も全身の動的メカニズムのなかで機能する一つの器官に過ぎないということは歯1年の僕でも理解できる自明の事実ですが、人間だって、環境からの影響を常に受けて変化し続ける動的なプロセスに過ぎないんじゃないか。機械って分解しても元通りに再構築できるけれど、生命は分解したが最後元には戻らないじゃん。その視点が鈴木先生のグランドセオリーの源流として流れている気がする。

だってさ、釣り上げられた魚が生き返ることはないように、環境から切り離された人間が、再びその生命的なプロセスの息吹を吹き返すことはないわけだよ。でも、人間と環境を結ぶ動的な「関係性(←言葉変えたくて3日くらい悩んでる)」を視野に包括したら、まさに水を得た魚のように、人間理解も動的な、ダイナミックな検討になるはずなんです。蛇足だけど、「さかなクン」って、敬称は「さかなクンさん」でなくて「おさかなクン」だ、って誰かがTwitterでしきりに主張していて面白かった。

要は、環境と生命のあいだには、相互作用の動的関係性の糸が折り重なっていて、村上春樹的に言うと「バランスを失った蜘蛛の糸のように入り乱れ」(これは恥ずかしくなりそうだから削除したんだけど)、つまり環境と生命は動的に相互作用していることを認識しなくちゃ、本質的な生命理解は不可能じゃないか、ということが一番言いたいことなのかも。

もし「松岡学」とかいうふざけた学問があったとしたなら、「松岡」だけの身体的特徴とか性格とか、それだけを見ていちゃ全然なにも本質的な理解はできないはず。「松岡」の持つ関係性とかLifeStyleだとか、そういうことまで包括して認識しなくちゃ、松岡学は極められないはず。そういうことだよ。

だから、僕はこれから歯学部で学ぶ身として、全包括的というか、生命論的というか、ともかく近代合理主義科学すなわち要素還元主義的な世界観から脱却して、歯だけじゃない、口腔だけじゃない、全身だけじゃない、関係性をも視野に包括した目で、学問をしてく必要があるんじゃないか、そういうことを書いてるつもり。こんなふざけた口調じゃないけどね。

関係ありませんが、やっぱり小田急線沿線に住みたいです。昨日行ったのはね、登戸、成城、下北、あと名前忘れたけど小田急線登戸の橋渡った東京側の駅。つまり成城よりの駅。昨日東京は春一番が吹いたらしいです。この季節はだいすきです。10年後に子供連れてサンドウィッチ片手にピクニックに行きたい天気でした。いいなあ。まあ歯医者になれたらね。総学再試だし。

また関係ありませんが、プロフェッショナル仕事の流儀、生命科学者、理化学研究所の上田先生の放送をTSUTAYAでレンタルして視聴。まあためになるとかじゃないけれど、すごく恰好良いとおもいました。プリンス。格段にお若くて、すごい刺激を受けた。今から10年ちょっとで僕がああなれるかと言ったら、多分無理…とは言わないようにします、がんばります。

2011-02-26 | Posted in No Comments » 

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